■ 5月10日山手線沿線DAN歩 第7回田端駅〜駒込駅 案内:栗山正雄氏
栗山さんは、田端文士村記念館、田端文士芸術家村しおり、六義園ゆかりの地和歌山市の資料を用意して皆さんに配布してくれました。ありがとうございます。

田端文士村、明治末期から昭和初期まで数多くの文士や芸術家の文士村が形成されて いたらしく今では残っていませんが旧居跡の碑がたくさんありました。 東覚寺の門前にある赤紙仁王:病のある場所に赤紙を貼ると治るらしく仁王像が見えないくらい赤紙だらけでした。  山手線に残る唯一の踏み切り「第二中里踏み切り」、知らなかったですね。山手線が目の前を通ると普通の踏み切りと違う気持ちになりました。 東洋文庫は初めてでしたが、30分の時間では足らないほど、歴史を伝える記録は当時のことがよくわかりまたゆっくり来たい所です。 広い六義園は、残念ながらツツジは終わってましたが、新緑の木々がとても清々しかったです。柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き造り上げた「回遊式築山泉水庭園」は見事でした。楽しい有意義な一日でした。栗山さん、ありがとうございました。

栗山さんのFBをご紹介します。
今日は六義園近くにある東洋文庫を訪れた。東洋文庫は東洋関連文献を多数所有し、現在蔵書が100万点近くあるという一大図書館である。今は付属のミュージアムで「安政の大地震展」が開かれていた。注目は1855年の安政大地震後に江戸で流行ったという「鯰絵」である。地震を起こす大鯰を相手に笑っちゃおうというものである。 大鯰に吉原の花魁が寄って集って虐めをしたり、地震を司る神様に、大鯰たちが平身低頭したりしている。成る程地震による心理的ショックを和らげるのにうってつけだったのであったろう。今のように地震のメカニズムが分かってしまうと、こういう心の癒やし方はできない。文明が進むと人間らしい生活はかえって狭まってしまうという典型であろう。

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