あゆみ 2014 3月号 vol.9
2014.03.20
『(公財)全日本空手道連盟発行 中学校授業のための、新しい空手道情報誌「あゆみ」の編集チーフをしています。「あゆみ」Vol.9の菅官房長官の記事を以下、抜粋してご紹介いたします。』

空手で鍛えた強い精神力 
菅義偉 内閣官房長官 特別インタビュー

空手道との出会い
 法政大学に入学し、剛柔流空手道部に入部したことが、私と空手道との出会いです。
 空手道部への入部を決めたのは「厳しいところで自分を鍛えたい」という思いからでした。学生時代こそ己を鍛える絶好の機会であると考えていたからです。実際に入部してみて、その厳しさに果たして続けられるだろうかと最初は不安を覚えたほどでした。しかし、この厳しさこそ自分を成長させるものと信じました。

 社会に出れば、理不尽と思うことや嫌なこともたくさんあります。そんな時の「耐える力」や「平常心」はとても大切なものだと考えます。この「耐える力」や「平常心」の根本である「胆力」を私は空手道によって練ることができたと思っています。

空手が仕事に活かされたこと
 空手道で培った力は現在も大変役に立っています。日々生じる様々な問題から「逃げない」という強い気持ちや、困難に耐える精神力は、正に4年間の空手道部生活で鍛えられたものだと痛感します。どんなにきつい稽古でも、永遠に続くということはありません。しかしこれを乗り越えていくには強い精神力、耐える力が必要になってきます。
若い時の鍛錬は自身の財産として身に付き、人生の中で生き続けていくのだと思います。


かぐや 2011 春号 vol.12
2011.02.01
『(財)全日本空手道連盟発行 女性のための空手道季刊誌「かぐや」の編集チーフをしています。 「かぐや」Vol.12に、「日本武道団 メキシコレポート」と題して喜島が寄稿しました。以下、抜粋してご紹介いたします。』

 この海外派遣は、「日本武道館が武道の国際的事業として、武道と古武道を併せた日本武道派遣団を年に1回編成して海外に派遣し、世界各地で武道の技と心の真髄を披露し、同時に武道関係者との交流稽古を行うなど、武道を通して国際交流と友好親善の促進に寄与する事業」の一つとして行われているものです。
 今回のメキシコへの派遣は第28回目。2009年はオランダ、2008年はブラジルでした。過去には、ポーランド、スペイン、ポルトガル、カナダやアメリカなど19カ国に派遣されています。
 メキシコ合衆国への派遣は、ちょうど2010年が「日墨交流400周年」という年であるということから、その記念事業として開催されました。
 今から400年前の1609年にフィリピン総督であったドン・ロドリコ船長ら乗組員317人が千葉県の御宿で難破し、彼らを救難したことからメキシコとの交流が始まったようです。

 11月14日(日)。いよいよ今回の派遣団のメイン・イベントの日です。この日も朝早く起床し、会場である「ファン・デ・ラ・バレーラ体育館」に向かいました。この会場は、1968年、メキシコ・オリンピックの時の競技会場の一つで、メキシコ市内に位置しています。
 午前中は全武道のリハーサル。午後から本番というスケジュールでした。現地のテレビ局、アステカテレビの取材もあり、空手道の歴史や技術について、また競技空手の変遷について、柳田先生と原口先生が解説されました。

 そして、いよいよ午後からの本番の時間がやってきました。観衆は4500人以上!大きな拍手に迎えられ入場行進。空手道に続き、相撲チームの入場で会場は大いに盛り上がりました。
 メキシコの演武会は、とても貴重な経験となりました。ただ残念だったのが、お腹を壊してしまい、メキシコ滞在の前半はほとんど食事をとれなかったことです。それでも、さまざまな武道の演武を目の前で拝見でき、また交流もできて、ハードな一週間でしたが、達成感と心地よい疲労感を感じながら、メキシコを後にしました。


かぐや 2010 冬号 vol.11
2010.12.01
『(財)全日本空手道連盟発行 女性のための空手道季刊誌「かぐや」のリレーインタビュー「空手と仕事が私の原動力に」に喜島が紹介されました。以下、抜粋してご紹介いたします。』

若井:武道に縁のあるご家庭で育ったそうですね。
喜島:祖父が柔道八段でした。都内でも数ヶ所しかなかった80畳敷きの柔道場を作った人で、遊びにいくと接骨院の研修生のお兄さんたちが相手をしてくれたものです。父や兄も柔道家です。

若井:空手を始めたきっかけは。
喜島:昭和女子大学短期大学部に入学し、子供の時習っていた茶道部に入りたかったのですが、表千家がなく、部活動は諦めてアルバイトをしていました。でもなんだか活力が出てきて、運動部を探すことにしたんです。同級生に誘われて空手部を見学し、入部を決意。当時の部長さんが西谷賢先生(慶応義塾大学空手道部OB)のお弟子さんで、先生には昭和女子大学の師範をしていただきました。

若井:「かぐや」編集チーフという責任ある立場に抜てきされたときは?
喜島:当初、リニューアル前の「かぐや」を踏襲すべきか迷っていました。そんなとき、全空連の事務局長から「好きにやっていいぞ」と背中を押していただいたんですね。
 私には知りたいことがいっぱいありました。たとえば、日本に公認段位をもっている女性が何人いて、審判をしている人が何人いるんだろう?とか。「それならば」と、構成を一変し、データを掲載し始めたところ、「こんな資料がほしかった」とたくさんのお便りをいただきました。同時に「かぐや」を男性が読んでも面白いものにしたい、と気持ちが変わっていったのです。

若井:思いが詰まっているので、喜んで読んでいただけるのでしょうね。
喜島:私の空手教室では、子供から、特に社会人を中心に教えています。さらに、10年ほど通っている「木曜会」という、慶応義塾大学空手道部OBの練習会にすごく刺激を受けています。参加者の最高齢は90歳。60歳代は若手です!80歳代の人が生き生きと組手や形をする姿に「これが空手だな」と感じたんです。
 「かぐや」の編集に、その視点は往々にして入ってきたと思います。


KARATE LIFE 1994年9月号
2004.09.31
雑誌「KARATE LIFE」(発行:全空連)のリレーエッセイ「我が心の空手」に、悠喜塾師範の西谷先生が「私の空手道の思い出」と題して寄稿されました。以下、ご紹介いたします。

私と空手道との出会いは高校1年生の春、和歌山市の剛柔流拳武館本部道場に入門したのが始まりで、そこでは初日から血まみれの荒っぽい稽古でした。そこにいらした宇治田省三先生は心のやさしい先生で、空手以外でもいろいろ面でお世話になりました。

慶応義塾大学空手部に入部後は師範である小幡功先生や大勢の先輩から松涛館流の空手を学び、卒業後、昭和39年に松涛館空手道拳心会を創設し、全空連の講習会や学連、実連、神奈川県連等でいろいろな人から他流のいい面を学び、未熟な私は空手道の奥の深さを痛感しました。

永い空手人生の中、私にとって生涯忘れられない事のひとつにこういうことがありました。ある日、70歳を過ぎた小幡功師範から「今日は個人指導をするから母校の日吉道場に10時までにくるように」という指示を受け、道場を清掃して待機していましたら、小幡先生は胃癌に犯された身体を学連から贈呈された杖にすがってこられ、道場正面に正座され「西谷くんの得意な型を止めというまで続けるように」と命ぜられました。私は偉大な師の面前で緊張し、肩に力が入りコチコチになりながら演武を続けました。師は100回、200回を過ぎても決して止めと言われず、型の中のひとつひとつの突き蹴り、受け技、立ち足等を鋭い目で追われ、少しでも気を抜くと鋭い声がとびました。

午前10時から始め、おそらく五百回を遥かに上回ったと思われる頃になっても止めの声はありません。どうにでもなれと思いながら型を続けた私の身体は体力の限界を越え、余分な所に力を入れる余裕もなく、自然に不必要な力みもとれてきました。自分自身を忘れて型に没頭し、型か自分かの区別がなくなり、師が私の前に正座されている事も呼吸している事すらも忘れた頃、大きな声で「止め」と言われました。はっと我に返り、夕闇迫る道場で師の前に正座した私に、師は静かに語りかけられました。「自分自身を捨てる事と無心無欲になる事を少しは理解したかなぁ。力みも取れたね」と。師は身体で覚える事がいかに大事かを1日中微動だにせず身をもって指導され「西谷くんもやっと空手道の入り口にさしかかったね。空手はやればやるほど難しい。これからも大いに悩み、研鑽を積み、何度もトンネルを抜けなければならない。今、流した汗の一粒一粒の汗が目に見えない心の部分を磨くのだ」と私を諭しました。私が35歳で全空連の6段に合格した直後の事でした。驕る心を戒め、これからが本当の空手修行の始まりであることを諭し、その後まもなく他界された小幡先生。それは私に対する遺言のようなものでした。

空手を続けて感謝する事は仕事関係以外の多くの人との出会いがあるという事です。第1回メセナ大賞を受賞した岡山の林原健氏を始め大勢の人々が私の心の支えになっています。政治も経済も不透明な今こそ、空手で汗した人達が世に出るべきだと思います。広島でのアジア大会の正式種目採用を機に、我々空手で汗する者は空手界の中だけで自己満足するのではなく、この空手道の素晴らしさが大勢の人々に理解され認知されるよう、ひとりひとりが努力するべき時期にきています。それには我々空手で汗する人々が襟を正し、社会に貢献すべきです。それがオリンピックの正式種目採用に通じるのだと信じるひとりです。

日本経済新聞 2007年11月14日付 夕刊より
2007.11.14
日本経済新聞(夕刊)の「仕事わたし家庭 主要企業時短調査から」に紹介されました。以下、抜粋してご紹介いたします。

短時間で成果を出せば、新たに使える時間が増える。使い道は仕事に限らない。スポーツ、子育て、自己啓発――。私生活の充実は巡り巡って再度良い仕事、さらなる成果を生み出すこともある。時短は職業人としても家庭人としても成長に結びついていく。

「もっと腰を落として」「手の位置は右に」――。シュッシュッと鋭く風を切る手足の音に合わせ、指導の声が飛ぶ。ファイザー(東京・渋谷)空手部の練習日。監督の喜島智香子さんは、患者団体や家族会などの支援を担当している現役の担当課長だ。

学生時代からの空手は、五段の腕前。平日夜と週末の二回、一般にも指導する。一方、患者団体支援の仕事には立ち上げ時からかかわり、国内外を出張で飛び回る。「空手での壮快感、達成感が、仕事の力になる。指導を通じ様々な年代の人とコミュニケーションをとってきた経験が、今の仕事に生きる」

・・・働き手の意識は高い。十月にインターネットで実施した正社員千人調査では、個人として時短の工夫をしている人は八割以上、「生産性を上げられる」という人も三分の二いた。人の配置や全社的な効率化なども大事だが、自ら時間を作り出す努力と、労働時間を減らそうという目的意識も必要であることを、多くの社員は認識している。

・・・業種や職種によって個人でできることに限りはある。しかし、喜島さんの「仕事以外に打ち込める何かがあってこそ、いい仕事ができる」との言葉は、普通だが多くのビジネスマンの心に響き渡る。誰もがそれを望んでいるからだ。

月刊ジェイケイ・ファン 2005年4月号
2005.02.23
2005年1月20日(木)〜23日(日)の4日間、台湾高雄市体育会空手道委員会から招待され、西谷先生を筆頭に東日本実業団空手道連盟の選手及び役員総勢30名が参加いたしました。

2005年4月号のJK Fanの雑誌に、台湾遠征の記事が大きく紹介されました。このコーナーの最初のページには西谷賢先生が大きく掲載されております。

副会長:西谷賢
団長:箱田農夫男
副団長:田浦孝富(監督)/竹本篤弘(総務)/松波誠/山さき隆史
総務補佐:清水康男/坂巻陸郎/渡邊博
コーディネーター通訳:西谷習
応援:森本幸考/森本千代子
コーチ:喜島智香子
選手団:竹川穣/馬場秀和/近藤満/中江直寛/川上剛史/土居耕太郎/伊藤行徳/米田由公子/嶋さき貴子/宇都木千恵/高橋優子/水野庸子/諸岡奈央/福田純子/阿部夕姫



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